昭和49年10月27日 特別奉修委員
この修行中の事愈々修行中というよりも、商売が愈々駄目になるという時分でしたが。だから本格的な修行に入らせて頂くという時の、元旦の時のお知らせに、亀が荒縄でがんじがらめに括られておる所を頂いて、はぁこれが今の私の姿だなぁとこう思いよった。思いよったら縄をなんか鋭利な刃物で、ぷつぷつっとこう切って誰かがしよる。それでやれやれとこう、四つの足をね、こう出してこう立ち上がって、足を出した途端にその鋭利な刃物で、もう足も手もち言うでしょうかねあれは。
その全部をこう切られた所を頂いたんです。それからの修行ち言うのは、それは目にも当てられんような時代でしたけれどね。ですからとにかく歩かれんのですから、もうこう首を出してさえ置きゃ良いと。神様が餌を与えて下さるというお知らせだったと思うんです。今日は福岡の後藤さんが、今朝一家中でお礼。今日は奥さんのお母さんが、半年ぐらい前でしたけれども、肉腫で助からん所を、おかげを頂いてね。それこそたまがる様なおかげを頂いて、今日は初めてお礼参拝してございました。
あの白髪のお婆さんが参って来ておりましたでしょう。あのお方がそうです。この人が助かるという者は誰も居なかった。そればってんおかげを頂いて助かってしかも、あげん元気になっておられるとは思わなかったです。今日は顔色も良いしね、元気そのものにしておられましたが。そのお里のほうのお夢だったそうです。そこに大きなお三方に、柿が一杯こうお供えち言うがうず高く、お供えするように盛ってある。
その下にそれも丁度大きなお三方に一杯、まぁこう手でこうされる所を見ると、一尺四五寸幅位なね、四角位な亀がね、おおなかせなってから、手足をこうこウヨウヨしよる所を頂いた。それで野中さんが行ってからそれを起したらね、亀がゴソゴソ這うて行ってから、もう一つの三方のほうへぴしゃっ、治まった所を頂かれた。私は思うてから本当に、こういう奇跡的なおかげを、あの不思議に奇跡的なおかげを頂くと、おかげがねその場限り、お礼参りすりゃ、それでお終いと言った様な感じになるんです。
けれどもそういうおかげを頂いておる、そこの地方にね。福岡の田舎のほうです。何とかと言う。そこにね、それこそ、合楽示現活動でも出来るね、おかげを頂くと。例えば野中さんが、亀がおおなかせなって、どうにもしようがないでおるところ。それをこうやって、亀を助かられた訳です。例えば皆さんが一生懸命、示現活動なさるのは、あれは親先生を助ける事と同時に、神様を助ける事なんです。ほんなら親先生があぁた一軒一軒回ってから、示現活動して回るわけはいかんでしょうが。
それこそ足のない。もう私の場合なんか特にその亀。あれ以来ここでは亀のお知らせを頂くと、親先生の事だと言う様になりましたんですね。野中さんが頂いておられるのも、矢張り大きな亀がね、それこそ見事な亀やった。それをそのひっくり返ってから、自分で起きりきらんでおると。と言う事はね、親先生だけではどうにも出来ない。神様だけではどうにも出来ない。これに親先生の手にもなり、口にもなり手足にもならせて頂くという信者が、本気で、おかげを受けなければならんのです。
そのおかげを受けるためにはね。まず皆さんがやっぱ、おかげを受けなければいけんのです。今日今岩沢さんのご親戚のご親戚と言うかね、息子さん達ご夫婦ですかね。福岡に行っておられる。そのお届けがあってお土地を買うとか、買わないとかという様な、伺いの事をお願いしよりましたらね。頂く事が靴を磨く歯ブラシでね、勿論新しいのですよ。けども靴を磨くのは後ろのほうにちょっとこう、後ろ前に出てましょうが。こうねとらにゃん。それで歯を磨くような願いをしておると頂くです。
だからねそれはどう言う事かと言うとね。その事がままになると言う事よりもね、その事がままになると言う事よりも、足元の事を先解決してからじゃなからなければ、おかげにゃならん。おかげになっても駄目だというのです。そげん頂きましたよ。だからまだ足元にね解決せんならん問題があるとですよ。その問題を解決なさらなければね。そんな土地買う事だって家建てる事だって、ほんな事にゃなりませんですね。という様に先ずは自分の足元の所が、助からなければいけないと言う事。
お伺いをして買うた。お伺いをして建てただけじゃいけないと。それが本当に維持できる、いよいよ繁盛のおかげを頂く元の所の、自分の心が先ず助からなければ駄目だという事です。ですから皆さんの場合でも同じ事。心が助からなければいけない。心が本当に、助からせて貰う手立てをせにゃいけない。そこから合楽示現活動と言うものは出来るんです。最近は本当に目を見張るようです。今朝からもあの福岡のお寿司屋さんが参っておられましたでしょう。あの何ち言うかね。
西原さんこの頃から嘉朗さんが先頭で、奥さんの里が志賀島にある。丁度この前の月次祭の昼でした。それで話聞いていなかったが今日始めてお届け聞かせて頂いたが、もう金光様の信心の有難さと言う事は、おかげを頂いて知ってる訳です。いろいろ間接的におかげを受けて。それにあちらから、先生がみえてお話になるというのでみんな集まってね。これからどうでんこうでん、こういう会合を何時も持ってくれという話があって、大変成功裏に終わったというお届けがございました。
この頃矢部上流の方たちもそうでしょうが。日田の山奥から参ってくる方たちも、やっぱそうなんです。そういう様にとにかく一人じゃいかん。その周辺が助からなければならない働きを一生懸命、神様がなさっておられる。けれどもそれ、神様が、いくら一生懸命なさるとか思うとかしとっても。私どもおかげを頂いておる人間がね。いうなら神を助けるはたらきをしなきゃいけない。本当に親先生の手にもなろう、足にもなろう口にもならせて頂こうというね。
現在の合楽で一番今日の御理解で、お徳を受けると言う事だったら、この事に専念する事が一番お徳を受ける事です。何故って神様が一番求めてござる事。神様が一番喜んで下さる事なんですからね。そういうおかげを頂かせて頂いたが、もうどこにもここにもです。昨日などは宮崎のほうから、延岡ですか宮崎ですか。あちらでおかげの泉を読みよるグループの方達があるんです。
そのグループの方達で今度ここに合楽示現活動の、手始めというか、その一塊として協力預金と言う事が、この頃なされておると言う事ですから。私共も参画させて下さいと言うて手紙が来てるんです。福岡のほうのご親戚の方です。それが苗字だけで来とるし、何人と言う事だから、これは班ば作らなきゃならないというお届けが昨日御座いました。という様に、こげな事なんか、思いもかけないことでしょうが。
それこそ延岡宮崎辺りでです。おかげを泉を読みよる人達のグループの方達で、合楽示現活動に参画しようと言っております。ですからましてや地元でおかげを頂いておる方達が、本気で合楽示現活動に参画させて貰わなければ。それには先ず自分が心の上に助かりそして折角お参りをさせて頂いて、おかげを頂くと言う事は、誰でも言うならば、病気でありゃ医者に行きゃ良い。金が足りんなら借りにいって借れればそれで良い。
ただ商売繁盛なら矢張りようが良かりゃ繁盛もする。そういうおかげは信心を抜きにして出来る事です。けども信心しなければ頂けないと言う事はです。矢張り御神徳を受けると言う事だけなんです。だから御神徳を受けるためにはです。神徳を受ければ心配はないというような心が開けたらです。人間の幸福の条件が、全部足ろうてくると言うのですから。しかもあの世にも持って行け、この世にも残しておけると言うのですから。目的をですね、今日はお徳を受けると言う事に置かなければいけない。
今リュウマチで、秋山さんのお知り合いですかねあの人は。参ってきよる方があります方に今日私は話す事ですけれども。成程おかげを頂いてから、あれほど五体が痛みよったのが痛まんごつ段々なってきて時々痛む。そうすると前の日参っとらんやったとか、何とかち言う様な時なんです。だから印を見せて下さってある。だからこれでおかげ頂けるぞという、そのおかげだけならば、例えば薬が効く場合もありゃ医者でようなる様な事があるかも分からないけども。御神徳だけは是は。
医者とか薬とか他の事では頂けないのだ。真の信心をさせて貰わなければ頂けないのだ。ですからリュウマチという、難儀な病気を通してこの事を通して、御神徳の頂けるような信心とはどういう信心か。どういう生き方あり方どういう心掛けになったら、御神徳が受けられるかと言う事に焦点をおかにゃいけんねと言うて、今日私は話しました。それがようなるだけの事だったらです。大した事はないです。一つ御神徳を受けさせて貰えれる、それこそ、どのような場合であっても。
驚かんで済む慌てんで済む、安心しておれれるという様な、心の状態が開けてくることを楽しみに信心する。その信心の、いうなら、様々在りましょう。御徳を受けた方達の、歩かれた道を、神習わせてもらうという事もそうですけれども。一番今、簡単に、お徳を受けられる道は、合楽示現活動に参画させてもらうという事です。是なら愈々神様も喜んでくださる事でしょう。それをそのままひっくり返っとる亀を、起してやるような働きなのです。いわゆる、親先生を助ける事になるのです。だから、助けられるのです。
どうぞ。